XJAPAN YOSHIKIとBANANA FISH アッシュ・リンクスの奇妙な関係

X JAPAN の初のドキュメンタリー映画「WE ARE X」。Blu-ray/DVDの発売後すぐに売り切れ状態が続いている。

YOSHIKIを見ていると思い出すのが「BANANA FISH」のアッシュ・リンクスだ。今日は二人の共通点を挙げながら、YOSHIKIの魅力に迫りたいと思う。

「BANANA FISH」は少女漫画雑誌に連載された漫画なのだが、少女漫画と言っても侮るなかれ。冷戦時代のアメリカ・中国を舞台にしたストーリーとなっており、読んだ漫画の中でも1、2を争う素晴らしい作品だ。ラジオドラマ、TVアニメ、舞台とリメイクされており、それぞれ大ヒットしている(TVアニメは2018年放送予定)。詳しくは「BANANA FISH」のウィキペディアを参照してほしい。

YOSHIKIの軌跡を振り返るにあたり、なぜかどこかで既視感があり、それがようやくアッシュ・リンクスの軌跡であると自分の中で腑に落ちたため、記録することにする。

アッシュ・リンクスは漫画の登場人物であり実在はしないが、実際に会うことができない人物という意味ではYOSHIKIも同様であるため、実在の人物と漫画の登場人物を同一に比較するのはどうかと思うがそこは忖度して読んでほしい。

 

生まれと育ち

アッシュは貧しい家庭で生まれ育ったが、少年時代ディノ・ゴルツィネに拾われ、その資質と才能を見出される。専属の家庭教師がつき英才教育を受け、歴史、数学、帝王学などその全てを吸収する。

一方YOSHIKIは老舗の呉服屋の長男として、裕福な家庭に育つ。4歳からピアノ、10歳からドラムを始め、中学では器楽部に入部。本格的に音楽の世界に没頭していく。

二人は幼少期から英才教育を受け、その才能をみるみる開花させる。そもそもこの「恵まれた環境」を与えられる「運」を持っていることこそが凡人とは違う生まれ持った能力であるとも言えよう。

 

類稀なる美貌

アッシュ・リンクスは美しいプラチナ・ブロンド、翡翠のようなライト・グリーン・アイズ。ストリートキッズの不良少年でありながら美しい顔立ちをしていた。ディノ・ゴルツィネは最初はアッシュ・リンクスを商品として働かせていたが、美しい容姿に魅入られ、自分専用の「ペット」へと昇格させた。

一方YOSHIKIの美貌はここで改めて触れることはないだろう。TVで見る若かりし頃の写真は美少年というよりは美少女のようだ。50歳を超えた今でもその美貌は衰えていない。目は細いがサングラスやメイクでカバーしている。

YOSHIKIは自分の見てくれを充分理解している。自分が美しいこと、そしてその美しさが自分の武器になりうるレベルだということ、他人を魅了するものであること。サンタの帽子をかぶったら可愛いことも、ピースが素人っぽくて可愛いことも。自分を魅せるということを理解している。

人は美しいものに憧れる、そして心酔する。そういう対象が自分がなり得る存在であることを理解している。

 

類稀なる資質

どんなに高等教育を受けても、受ける側の資質がないとその才能は開花しない。

アッシュは知能検査でIQ200以上を叩き出すほどの頭脳の持ち主だし、YOSHIKIはドラムやピアノの演奏はもちろんのこと、作曲、プロデュース、マーケティング等の、努力では到底賄えないレベルの能力がある。YOSHIKIはよく「頭の中のイメージ」という発言をする。

「頭の中でイメージはあるんですけど」

いったいその天才的な脳の中にはどのようなイメージがふくらんでいるのか。

凡人にはたいてい想像もつかない。

 

美貌と能力、神はなぜこの二人に二物を与えたのか?彼らには生まれながらに与えられた使命のようなものが存在するのだろうか?

それは神の器か。いずれにしても本人達は抗えない運命として受け入れるしか無い。

 

生きるための力

アッシュは不良グループで生き残るため、運動能力、その中でも特に射撃の腕を鍛えた。晩年の彼の戦闘能力は傭兵すら手玉に取るほどだった。彼はそうしなければ生き残れなかったのだ。生きるために何が必要なのかアッシュは理解し、必要な能力を全て身につけていった。

それはYOSHIKIも同じだった。不良グループと共に活動する時、どうしても「美しい顔」は「弱点」でもあったはずだ。だがYOSHIKIは仲間内でなめられない「力」を身に着けた。それは時に「暴力」であったかもしれないが「ドラムの実力」「音楽の能力」でもあったはずだ。

 

圧倒的なカリスマ性

そこにいるだけで人目を引くようなオーラ、黙っていても圧倒的な存在感。誰もが魅入られるその魅力は一体何なのか?見えない力なのか、それとも魔力なのか?

二人は望むと望まないにかかわらず、幼少の頃から存在感はあったと想像する。そして二人も自分自身それに気が付き、自分の「与えられた役割」みたいなものをおぼろげに感じていたのではないだろうか?

とはいえ努力と強い精神力は人並みではない。自分の力を信じきることができるレベルまでの努力、その努力をやり続ける、やり遂げる強い精神力。本当は不安で心が潰れそうかもしれないけど、それを表面に出さない精神力。この辺もYOSHIKIとアッシュの共通点だ。

 

死への憧れ

YOSHIKIの作詞した楽曲の中には、明らかに死への憧憬を見て取れるものがある。代表的なものは、「WEEK END」だ。これは「週末」と「終末」をかけたものだと言われている。また、「紅」にも同様な内容がある。

一方アッシュも奥村英二にこのような発言をしている。

「今までに死んだほうがましだと思うことがいくらもあった。もうこれ以上悪いことはあるまい、と。そんな時死はたまらなく甘く誘惑に満ちたものに思える」。

「死」は不幸なことに、二人には常に「身近な」出来事だった。周りの人間の「死」を味わうたびに「死」について考え、「死」のその先にあるものは何なのか思いを寄せたことだろう。会いたい人に会えない辛さを考えた時、自分も「そちら側」に行けば楽になれるのだろうかと考えたことだろう。

だがYOSHIKIは踏みとどまってくれている。それは彼の「強さ」だ。その才能が今この世界にあることに感謝したい。

 

絶対的な友

10年間の軋轢はあったものの、現時点ではYOSHIKIにはToshlという人物が存在していることで、正気を保てている感じがする。

YOSHIKIはあやうい。誰かがその腕を掴んでいないと、存在すら消してしまいそうな儚さがある。

一方アッシュも「奥村英二」の存在こそがこの世に存在する意味であり理由であった。

「YOSHIKI」と「Toshl」、そして「アッシュ・リンクス」と「奥村英二」の関係はとても似ている。

まずYOSHIKIとアッシュだが、この二人は天才的な能力を持ち、周りが彼らを必要としていた。彼らを「利用」しようとする輩も数多く寄ってきた。だが反面「Toshl」と「奥村英二」は「普通の人間」だ。YOSHIKIとアッシュがいなければ、普通の人間としてスポットライトが当たらない側の人間だ。だがこの二人の存在があってこそ、天才は天才として存在できた。いや生きる意味を見出せた。この関係を文字で表現するなら、一番近いのは「恋愛感情」だ。

 

自らをプロデュースする能力

YOSHIKIが昔の話を良くするのは、別に女々しいからでもなんでもない。昔を覚えていることをアピールするのはファンに対するサービスなのだ。

YOSHIKIは理解している。YOSHIKIに取っては何回か行うライブのうちの一つでも、ファンにとってはたった一回の、その時の青春や、記憶が詰まった一回だということを。振り返ることで「いつまでも忘れていないよ、共有しているよ」というアピールでもあるのだ。

また、ロックで髪を金髪にし、派手なパフォーマンスのドラマーがピアノを弾きクラシック音楽を作曲する意外性が好感度につながることを理解している。

どんな人にも敬意を払い、ぞんざいな態度をとらない。またファンに対していつも感謝の気持ちを口にしている。嘘や表面上だけだとなかなか続かない。きっと本気で感謝しているのだと思う。インタビューでは誠実に、正直に、あるがままに答えている。たまに涙ぐむが、感受性が強いのだろう。

神聖視されている割には、宣伝のためならトーク番組や電話出演など案外気軽に出演する。宣伝のためには露出が必要と理解している。彼が実業家としても成功したのはここだ。Youtubeにも、オフィシャルアカウントがXJAPANの楽曲を公開している。著作権がどうとかいうより、世間に認知され受け入れられていくことこそが最大の戦略であることを理解しているのだ。YOSHIKIはインターネットの利用方法も熟知している。TwitterやInstagramを駆使しますますファンを増やしている。その辺のプロブロガーよりも上手に利用している。

ここまでYOSHIKIとアッシュ・リンクスの共通点を述べてきた。思いつくままに並べたのだが反論は受け付けない(笑)。でも、わかってほしいのは私はYOSHIKIもアッシュも大好きだ。興味を持った人は、「BANANA FISH」をぜひ読んでみてほしい

最後に

XJAPANにとって、2018年は新規顧客開拓の勝負の年。突き抜けられるか、「ただの」バンドで終わるか。

YOSHIKIの七光りバンドであってはいけない、XJAPANとして光り輝くために、ドキュメンタリ映画も作り、宣伝のための露出も大成功。ここで内容の良いアルバムを出しさらに成功を確実なものとするために、前進し続けないといけない。

「挑戦は終わらない」「壁を壊して」「進み続ける」の単語にも見えるように、XJAPANは破壊から創造の世界にシフトしようとしている。